本作は2011年3月26日に日本公開を予定していた作品。東日本大震災が日本を襲ったが故に長らく公開延期となっていた本作でしたが、2015年3月14日に公開されることが決まりました。私は実は当事公開に先立ち試写会でこの作品を観ていましたし、レビューも書き上がっていたのですが、流石にアップはしないままお蔵入りさせ4年の月日が流れました。今回の公開に先立ち改めてレビューをアップしますが、敢えて当時書いたものをそのまま修正せずに上げたいと思います。物語では主人公の時間が再び動き出すのに32年もの時間を必要としていました。東日本大震災からまだたった4年です。被災された方々の中にまだ時が止まったままの方がいたとしても当然です。そんな方たちの時間が、主人公と同様に当たり前のように動き出す日が来ることを願ってやみません。
▶ここまで2015年3月11日記述
中国では『アバター』を抜く観客動員だそうですが、それも良く解る作品です。まああちらはあくまでも娯楽作品、こちらは実際に起こった災害を扱っているのですから、観客が受ける印象はまるで違って当たり前ですね。確かに観ていると、折に触れて胸が締め付けられるような思いにかられ、涙を流してしまいました。ただ、全面的に涙がボロボロだったかというとそういう訳でもなく、観ていると時々ふと我に返るというか、気持ちが引いてしまうような部分もありました。考えてみるにそれは一つの要素からではなく、様々な要素が絡んでの事だったように思います。物語は1976年7月28日に起こった唐山大地震からスタートし、ある被災者家族の生き残りが2008年の四川大地震までの32年間に辿った人生を描いたものでした。

最初の唐山大地震のシーンでは凄まじい揺れで建物が次々倒壊し、地割れが出来るといった被害がでるのですが、地震の激しい揺れを表現しているにしては妙に単調な画面のぶれが続いてしまい、まるで昔の特撮映画で感じたような変な嘘くささを感じてしまったのでした。出鼻をくじかれた形で少し不安を感じたものの、その後に起こった出来事は余りに衝撃的。それはこの物語の主人公ともいえるリュー・ユェンニー(シェイ・ファン)のその後の人生を決定付けたのです。夫は自分を庇って命を落とし、残された双子の男女が奇跡的に生きて発見されたものの、2人は瓦礫の下敷きという状態。片方を助けたら片方は瓦礫の下敷きで死ぬ、同時に助けることは出来ない、ユェンニーはどちらの子を助けるかという究極の選択を迫られます。

しかしどうして人間にそんな悪魔の選択ができるでしょうか。ユェンニーは狂ったように泣きながら悲痛な表情で「弟の方を助けて…」とつぶやきます。しかし何とそのつぶやきは瓦礫の下で母の助けを懸命に待つ姉のドン(チャン・ツィフォン)に聞こえていました…。必死で助けを求めていたドンが自分の置かれた状況を悟り、そのつぶらな瞳に涙を一杯に溜めた顔がどうしても頭に焼き付いて離れません。ただ映画として観ているだけでも遣り切れなくてどうしようもないのです。ユェンニーの心がこの時に完全に崩壊してしまったとしても、一体誰がそれを責められるでしょうか。助け出されたもののボロボロの息子ダー(チャン・ジアージュン)を背負って人の列に連なるユェンニー。しかし、皮肉にもその頃、父の遺体の隣に寝かされたドンは何と息を吹き返します。

そして混乱の最中、それでも幼子は自分を見殺しにしようとした母を捜します。当然です、例えどうあろうとも子供が頼れるのは親だけなのですから。この大地震の時、文化大革命のさなかであった中国は諸外国からの援助を拒否したのだそうです。自力復興の象徴は人民解放軍でした。しかし中国の人民解放軍はそもそも人民のためにある軍隊ではなく、共産党を守ためにある軍隊です。唐山の支援から戻った解放軍を英雄として称える姿は人民のためなら体を張るという共産党のプロパガンダを兼ねている姿に他ならなく、そこに嫌悪感を感じました。この後、そんな人民解放軍の軍人夫婦の養子にされたドンの人生、母と生き残ったものの片腕を失ったダーたちの人生という、生き別れた家族の人生がパラレルに描かれていくこととなります。

母は自分を助けて死んだ夫、そして自分が見殺しにした(と思っている)娘のためにその全てを捧げてダーを育てていました。その姿を観ていると、まるで自分は少しだって幸せも感じてはいけないのだと決めたかのようです。「失うことの意味は失ってから初めて気づく」彼女が口癖のようにいうこの言葉を聞くたびに、彼女の心の痛みがダイレクトに伝わってくるようでした。一方のドン。優しい養父母に育てられ、美しく成長した彼女ですが、母親に見殺しにされた事実が心から離れません。心を閉ざしていたドンをここまで育て上げた養父母、特に養父のワン・ダーチン(チェン・ダオミン)は、まるで実の子のように愛情を注ぎます。「家族はどこまでいっても家族だ」という彼の言葉は、ユェンニーのセリフと対になる本作の重要なポイントと言えるでしょう。

それにしても家族は一体どうやって再会するのか?運命の再会は皮肉な形で訪れます。大地震で生き別れた家族は大地震によって再び出会うこのになるのでした。唐山大地震から32年が過ぎた2008年5月12日、私たちも良く知る四川大地震が発生します。壊滅した都市は昔の唐山市を思い出させるものでした。ニュースでそれを知ったダーとドン吸い寄せられるように四川へと向かいます。32年ぶりの再会、彼女たちの胸に去来したのはどんな想いなのか。抱き合う母と娘の魂はあの大地震の時のままだったように思えます。もちろん再会出来て良かった、観ていて心からそう思うのですが、多くの人命が失われた災害がその話のベースになっているかと思うとそこで素直に感動の涙を流してよいものか。ちょっと躊躇われるものがありました。

←Click Pleae♪ストーリー:1976年7月28日、中国・唐山市を未曾有の大地震が襲った。倒壊する建物の中で気を失った母は、残された子供の行方を捜す。翌朝、母の元に瓦礫の下で姉弟が奇跡的に息をしている事が伝えられるが、同時にどちらか一人しか助けられないという余りに残酷な状況が告げられる。「息子を…」泣き崩れる母親。だが、その消え入るような声は瓦礫の下の姉の耳にも届いていた。時は流れ、娘の死を想いながら母親は生きていた。そして奇跡的に生き延びた娘も養父母の元、成長していた。――今、32年の時を経て、親子の運命が大きく動き出す。(2011年のフライヤーより)
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