※今回はネタバレで書いてます。流石はデヴィッド・フィンチャー監督だ。事前の情報で妻が失踪し、夫がその殺害の疑惑を向けられることは知っていた。しかし夫の無実を晴らすだとか、妻の失踪の真実を暴くといった単純な物語ではなく、とにかく先の読めない展開にグイグイ引き込まれたよ。夫の名前はニック、妻の名前はエイミー、2人は誰もが羨む美男美女で理想的な夫婦だった。ところが結婚5周年の記念日に突如エイミーが消える。最初は悲劇の主人公だったニックに徐々に自身に不利な状況証拠が見つかり、挙句の果てには若い愛人がいることまで発覚するんだ。それにしても人間がいかに外見や印象で他人を判断しているかが良く解る。

日本でもマスコミの印象操作は強烈だけど、カメラマンに「笑って!」といわれ一瞬笑った表情を切り取られ「妻が失踪したのに笑ってる」とかアメリカも一緒なんだね。この段階では当然エイミーは一体どうしたのか?本当に殺されたのか?犯人は本当にニックなのか?疑問がどんどん湧いてくるけれど、物語はそれに答えない。さあどうなるんだ!と思ったら何と映像はいきなりエイミーの姿を映し出す。そして彼女の謀略でニックが復讐されていることが詳らかにされるんだ。「え?この段階でそうくる?」っと誰しも思うだろう。敏腕弁護士ターナーの登場に至って、妻の謀略に夫が対抗する話に進んでいく。

それにしても「陪審制=印象が大事」なアメリカの弁護戦術ってのはまあアコギと言えばアコギなんだけど、テレビに出て過ちを詫びながらも悲劇の主人公を演じるニックのシーンは、実はとても大きな意味を持っていた。面白いのはここから流れがガラリと変わることなんだ。つまりここまではニックが疑惑から逃れるためにもがく姿を追っていたのが、ここから先はエイミーが逃れる話に変わる。何から逃れるのか。彼女は逃亡中に有り金を強盗され、仕方なく学生時代に付き合っていた大富豪のサイコ野郎に助けを求める。ところがこのサイコ野郎の別荘に軟禁状態にされるはめになるんだ。

最初は単純なサスペンスストーリーと思いきや、質の悪い女の謀略から逃れようとする男の話になり、次にその質の悪い女がサイコ野郎から逃げる話になる。まるで手のひらを何度も裏返すかのような展開は、最終的に2人の夫婦の元ザヤに行きつくことに。ニックは一緒に居たくないのに一緒にいなきゃいけないはめになるし、エイミーはエイミーでサイコ野郎を殺した容疑から自分を守るためにニックが必要。愛はなくても表向きは最初の理想的な夫婦を演じる2人の姿からは、心の安寧や充足よりも、虚栄心や実利を優先する人間への痛烈な皮肉が感じられたよ。

結婚に限らず恋愛は相手を思いやるところから始まるはずなのに、この2人は自分のために相手を自分好みに仕立てあげようとする。ニックはその虚しさに気づき「俺達はお互いを支配しようとしていた」と言うんだけど、エイミーはそれに対して「結婚てそういうものでしょ?」と答えるんだ。なんてシュールな返事なんだろうか…。既婚者や恋人がいる人達はこうならないようにしないとね(苦笑)結局、自分を犠牲にしても相手を思いやる大切さ、自分を偽らずに生きていこうとするニックが、それ故に妊娠したエイミーから、即ち自分の子供から逃れられなくなるという終わり方は、ある種人が死ぬ話よりも恐ろしいんじゃないか。そんなこと言ったら怒られるかな。

←Click Pleae♪ストーリー:ニック(ベン・アフレック)とエイミー(ロザムンド・パイク)は誰もがうらやむ夫婦のはずだったが、結婚5周年の記念日に突然エイミーが行方をくらましてしまう。警察に嫌疑を掛けられ、日々続報を流すため取材を続けるメディアによって、ニックが話す幸せに満ちあふれた結婚生活にほころびが生じていく。うそをつき理解不能な行動を続けるニックに、次第に世間はエイミー殺害疑惑の目を向け…。(シネマトゥデイ)
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