■
長いプロローグが鷲田の気持の重さに繋がる雪に包まれた釧路の町がやけに寒々しく、それは正に主人公・鷲田(佐藤浩市)の心の中を表しているようだった。鷲田は若いころ旭川地方裁判所の判事だったのだが、ある事件の法廷で学生時代の恋人・冴子(尾野真千子)と再会する。学生時代、鷲田が司法試験に合格したと同時に冴子は姿を消したのだが、それを引きずっていた彼は彼女との関係をよみがえらせてしまうのだ。東京に妻子がありながら。全てを捨てて彼女とやり直そうと決めた鷲田だったが、彼女とともに釧路へと向かう電車に乗る直前、冴子は電車に飛び込んでしまう。―実はここまでがプロローグだが、劇中ではとてもプロローグなどとは言えないほど丁寧に描かれていた。後に続く鷲田の回復しようがない喪失感、そして贖罪しようにも敵わないその想いがここにしっかり表現されている。
■
罪にならない罪を背負って生きてきた鷲田事件以来25年、判事を辞めた鷲田は釧路の町で国選弁護専門の弁護士として贖罪の日々を送っていた。そんなある日、弁護を担当したのが敦子(本田翼)だった。そこからゆっくりと鷲田の人生が新たに動き始める。鷲田は言う「懲役というのは、自らの罪を償うチャンスを与えられたということだ」と。冴子は自殺であって法的に鷲谷責任があるわけではない、しかし、法的に罰せられれば少なくとも自らの贖罪意識が法によって定義される。それがないということは、彼にしたら贖罪する機会自体が与えられないに等しいのだ。実は、彼は別れた妻に養育費として、子供が成人するまでお金を送り続けていた。ただそれとても、自らの過ちで何の罪もない妻子の人生を大きく狂わせたことに対する償いにはならなかったのだろう。要するに25年もの長きに渡ってかれは、罪にならない罪を背負って生きてきたのである。
■
想いが詰まった食事シーンある日、鷲田の家に敦子が訪ねてくる。彼女に覚せい剤を渡した男を探して欲しいと。鷲田は断るのだが、代わりに自らの手料理でザンギ(北海道の唐揚げ)をごちそうするのだった。暗く沈んだ表情の敦子が、ザンギを口にした瞬間、心のろうそくに火が灯ったかのような明るい表情に変わる。原作の桜木紫乃は『かなしみから立ち直る方法は人それぞれですが「眠ること」と「食べること」を大切に思えるようになるまで、じっとその長い時間に耐えるのは同じ。』と書いているが、美味しいものを美味しいと素直に感じられるようになることが、立ち直りの第一歩なのかもしれない。敦子はザンギのお礼に鷲田にスジコを贈り、イクラを作ってもらう。イクラは鷲田の息子の好物で、これが後のシーンでの伏線になっているのだがこの時はまだ解らない。とにかくこの2人の食事のシーンはこの作品の見所の一つだ。美味しそうに食べる敦子の表情もいいが、鷲田の表情が食事ごとに変化していくのが、彼の心の動きを表現していて面白い。
■
再生の一歩はイクラから結局、鷲田は敦子の依頼を引き受けるはめになり、実際その男を発見する。しかしそれは同時に、彼女が家族も失いひとりぼっちになったということを確認することにもなった。だが彼女は力強く立ち直る。まるで鷲田の作る料理に励まされるかのように。釧路駅まで送った鷲田の姿を振り返ること無く彼女は旅立っていった。そして、その姿を観た鷲田もまた再生のための一歩を踏み出す決意をするのである。そしてそのキッカケとなるのが件のイクラだった。実は鷲田は息子から結婚式に出席するようにお願いされていた。しかし自分にはその資格はないと断っていたのだ。敦子を送り自宅で朝食を食べようとする鷲田は、ふと思い出したようにあのイクラを持ち出し、涙ながらにイクラご飯をかきこむ。息子の大好きだったイクラを。激しいシーンではない。しかし、このシーンは名優・佐藤浩市の真骨頂だ。見ているこちらも涙が溢れてきた。
釧路駅から東京へと旅立つ鷲田。そう終点釧路駅に流れ着いた彼は、起点釧路駅から東京に向かって新たな一歩を踏み出すのである。即ち「起終点駅」に他ならない。それにしても、佐藤浩市が素晴らしい演技をするのはある程度想定の範囲だったが、本田翼がこれほどまでに良い演技をするとは思っていなかった。笑顔がとてもステキな女優さんだが、彼女は間違いなく佐藤浩市との二人芝居の中でその能力を引き上げられたと思う。佐藤浩市はインタビューで彼女のことを「良い意味で色がない」と表現していたが、それはつまり、彼女はその作品に対してすぐに染まれるということなのだと思う。そういう意味で今後も楽しみだ。
◯公式サイト◯シネマトゥデイ
++ 続きを閉じる ++